ひびのこと。

子育て、愛着障害、自閉症、自然、生き物、ADHD、好きなものの話

境界線のない母

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今日、仕事から帰ってきて

偶然母とばったり玄関ではちあわせた。

 

とたんに

せきをきったように

はなしかけられた。

 

母が玄関にでたときに

道行く人に

私の飼育してるめだかを

ほめられたそうだ

 

ここまでは、よい

 

そのあと

 

絶対あの人欲しいとおもっているから

あげなさい!と

いきなり命令口調になった

 

私は

私とその人が会って

その人が欲しいといえば

考えるけれども

 

私の育てているメダカなのに

どうして

私に、あげなさい!と

勝手にきめるの?

 

私の育てているメダカだから

私がどうするか決めるから!と

 

もうそれ以上の会話を

しないように

母からはなれた

 

いつもめだかの世話をしている

私の気持ちよりも

 

とおりすがりの人に

どうぞどうぞ!と

メダカをくばってよい気持ちになりたい

だけなんだとおもう。

 

これを積極奇異型、

もしくは

自己愛性人格障害のなせるわざ

だろう

 

亡くなった父にも

毎日、なにか

食べ物を供えているが

お供えを考えると

お供えの残り物ばかりを食べて

私は貧しい食生活を

していると

こぼすので、

 

亡くなった人は

たべないから

お供えよりも

自分のごはんを考えたら?と

いってもきかないし

 

お父さんに

お供えものしても

よそのおじいさんと

毎晩電話していたら

どうなのよ、と思うが

 

あれが続くのは

結局

母は何も言わない

リアクションしない父の写真に

愛を振りまいていることで

満足しているのだ。

 

生きていたら

気に入らないリアクションも

あるから

不満たらたらだった。

 

それを

無視して

押し切るだけのパワーは

母は充分あるけどね。

 

 

母は相手とのキャッチボールは

あまり必要としないのだ。

 

積極奇異型アスペルガー

勉強すると

とても母の行動がよくわかる。

 

 

 

ちいさないたみ?かな。

子供が産みの親の話をした。

 

彼には

産みの親の記憶がある

 

小学高学年の彼は

(僕はもう恨んでないんだよ

産んだ親のこと、怒ってないんだよ)と

 

さらっと

私にいった。

 

産みの親は

それぞれの場所で

また新たなパートナーと

子供作ったり

なんども繰り返しているのに?

 

君がいま、そういう気持ちなのは

わかった。

でも、これから

また、いろんな気持ちになるときも

くるかもね。と

 

ちょっと悔し紛れに

言ってみちゃったけど

 

子供が実親のドロドロした

現実はあまり知らせないように

壁を置いて

今は安全な場所で

規則正しい

小学生らしい生活を送り

アル中の母が暴れる生活からも

離れて

被害も悲しみからも

離れて

いま、幸せに

安定した生活を送れているから

その余裕の発言があることを

ある意味

良かったとおもう。

 

そして、私も

ほんとにこの数年間

彼の愛着障害と戦ってきて

大変な時期もたくさんあったけど

 

母になるチャンスを得て

子供の優しさにふれて

幸せを感じたり

私が

大切だと思うことを

伝えてきたことが

こどもの中にちゃんと

根付いていることが

私がいきてきた証ができたみたいで

しみじみ

嬉しい。

 

自分が産んだ子供じゃない

子供の母になることは

決して楽なことじゃない

 

ゼロからのスタートではなく

マイナスからのスタートだから。

 

信頼関係も

母子関係も

生活習慣も、なにもかも。

 

覚悟して受け入れてほしい

 

でも、必ず

めには見えないでっかい

幸せを感じる日もやってくる

 

ひとりでも多く

安心した生活を送れる

子供達が増えますように。🌈

 

 

 

 

 

 

 

 

積極奇異型 アスペルガー と判明した母 1

長年の謎がやっと解けたようだ。

 

母の行動に本当に悩まされてきたし

自分が小さい人間なのか、とか

たくさんの奇行の数々を

絶対学習することなく、

自分は間違っていない

親切、愛情あふれる行為だと

信じてうたがわないで繰り返すことを

 

よほどのばかなのか

もしくは、どこまで自分勝手で

底意地悪い人なのか?と

考えてしまっていたけれども

 

ここ最近のいろんな出来事を

つなぎあわせていくと

まさに、これに該当した

 

積極奇異型 アルペルガーに。

 

まず、彼女のいでたちを説明すると

ふつうの年配の女性の装いではない

 

いくつも、いただいた服や

手持ちの服を

多分、過敏な感覚ゆえに

切り刻み

いろんなハンカチも一緒にぬいつけ

前衛的なアートのような装いだ。

 

いまは少しおとなしくなったが

メイクも、はでな色使いを

ためらうことなく濃くぬりつけ

 

でも、NHKでみた若みえするメイクを

真似したとご満悦のようだ

 

一緒に歩くのが恥ずかしい

 

そして、どこにいても

大声で自分のしゃべりたいことを

延々と語り続ける

 

主に誰かの悪口だったり

自分が男の人からモテる話

口説かれた話

なくなった父の悪口

親戚の悪口

聞いている方が苦痛な話題ばかりだ

 

娘の私に

デイサービスで

口説かれた男の話をするか?っていうの。!!!!

 

それも我慢して聞いているのに

なんか~私、あの人に冷たくしちゃったかしら~なんて。

 

父が亡くなってもう何年か

たったけれど

それでも、娘の私は

別に母の恋愛話なんて

ききたくもない!!!

 

我慢して

そのデイサービスの彼を

好きなの?と聞くと

好きじゃないわよ~というけれど

 

じゃあ、キープしたいから

キープしてるってはっきりいえば!というと

 

そんなことないわ~

私が断れないだけなのよ~といいながら

延々と

口説き文句をつらつらと

聞かされるはめになる

 

私が、父がかわいそうだからやめてと

いっても

このおじいさんとのラブラブ電話は

ずっと続いていた

 

もう、わたしがすっかり

あきらめて放置していた

 

母はことごとく

いろんなことを私におしつけ

 

(奇妙な自分が編み出した特製料理が多い

しかも、絶対美味しいから食べなさい

健康にいいからたべなさい

晩御飯はこれにすればいいと勝手にきめる)

 

それを愛情からくるもので

素晴らしいもの

喜ぶのが当然のものとして

押し売り

 

こちらの聞いてもらいたいこと

共感してほしいことは

まったくうけいれない

独自の解釈を加えてしまって。

 

子供のときに

黒のランドセルが

母がかわいいとおもったから

私立の学校に行かせているみたいで

かっこいいから、だけの理由で

背負わされ、

いじめの標的になった。

 

いまから40年以上まえに

女子が赤以外のランドセルなど

考えられなかった世の中で、だ。

 

ぼこぼこに蹴られて

怖い思いをたくさんして

上履きをかくされたり

さんざんな目にあって

 

教室に入るのですら

もう怖くて

 

先生が入るまで

廊下にいたときもあった。

 

そんな状態で

母親に

いじめられて辛い

学校に行きたくないと告げても

 

あなたがかわいいからよ~と

まったくとりあってくれなかった

 

殴られて顔にあざをたくさん

つけてくるまで

一向に信じてもらえなかった

 

いつも、母になにか言っても

無駄だとおもっていた

 

いまでもそうだけれども

 

共感をしてもらえずに

育った私は

 

自分の感情を感じることも

下手になり

 

ましてほかの人に

感情があることも

 

頭ではわかっていても

実際にはわからなかった

 

人はみんな

他人を利用していきてる

 

そのくらい

割り切った

醒めた

つめたい

考え方しかできなかった

 

でも、彼女が積極奇異型アスペルガーなら

合点がいく

 

彼女は悪気はないのだ

ああいうふうにしかできないのだ

 

でも、そんな環境のなか

苦しみながら

自分の気持ちの健全な部分を

すべては失ってしまわずに

生きてこれて

 

いま、自分が産んでいない子供も

育てることができるくらい

自分の内面が成長できたことに

 

自分をほめてあげたいとおもう

 

うんとほめてあげたい。

 

そしてADHDでお片付けが下手だったから

母には、めちゃくちゃ叱られて

何時間も正座させられて

何時間もお小言をきかされて

自分がどれだけ

ダメ人間か、ということを

洗脳されつづけて

自己肯定感がめちゃくちゃ

低かったけれど

 

積極奇異型アスペルガー

許せない部分に

私のお片付け下手が

当たってしまっただけで

 

私がダメ人間でも

生きてく価値がない人間でもないし

 

母のくちぐせで

私はもう死ぬから、、に

ずっとおびえてきたけれど

(あなたが悪い子でわたしを苦しめるから

早死するんだからといわれ続けた。

いまも、思い通りにならないことがあると

もう、死ぬから

どうせ、死ぬからとなんどもいう。

ちなみに彼女はもう80を超えた)

 

私のせいだ

わたしがちゃんとできないから

 

なんでもなんでも

自分に責任をかぶって

母のいうなりになったり

 

私を、操作して

自分の思い通りに動かそうとする人から

自由になろう

 

最初に呪いの言葉をかけたのは

母が積極奇異型アスペルガーだったから

致し方ないことで

 

彼女を死ぬまで

死んでも私は許せないで

うらみ続けることから

 

今回解放された。

 

母の妹は

母と姉妹の心の交流を

最後までもてなかったことを恨み

死に際も母には教えずに亡くなった

 

ココロのキャッチボールが

できないと

こんなに悲しいのは

私もよくわかる。

 

でも、そういう頭脳の持ち主であり

彼女にはできないことなんだと

わかっただけで

本当によかった。

 

私はココロのキャッチボールができる人と

幸せな時間を過ごす。

 

ドッチボールは

ガス抜き程度にはお付き合いしても

もう、彼女(母)の言動に

ずたずたぼろぼろに

されて

疲労困憊になることは

もうしない

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制限をなくす、疑ってみる

キャンプブームにのっかり

 

浜辺に簡易テントをひろげ

寝転んでいた

 

海をみにくることはあっても

日差しが強かったり

座る場所なんてなかったりで

 

わざわざ遠くからきても

短時間

海をちょこっとながめる

波打ち際にいってみる程度で

戻ってしまうことが

多かったけれど

 

今日は、テントの中で

日差しもだいぶよけることができたし

なにしろ

ごろんとねっろがることだって

できたのだ

 

眠ってしまうほど

リラックスしてしまえなかったけれど

 

広い広い海が

おおきな円を描いて

水平線もながらかにまるく

 

空もひろくて

 

外の世界と同化したような

感覚を味わうことができた

 

家の中はまもられた世界だ

でも、その守られた空間のなかには

 

いろいろな決め事や

 

暗黙のルールも

 

そして、こうでなくてはいけないと

ある種、なんでそうなったのかも

わからないくらい、

疑いもしない

疑うこともできない

でも正義として君臨する常識という事柄に

 

いつのまにか

がんじからめになって

その中でできない自分を追い詰め

尻をたたいで

なんとかなんとか

やっていたことにきがついた

 

こんなにまるくて

でっかい世界を

 

四角みたいな形にしようと

出っ張っている場所を

とんとん叩き続けて

完全な四角にしようとしている間に

 

塩の結晶のような

小さいかたまりのような自分に

なってしまっていた

 

もったいないことしてたな

 

こんなに世界は広いのに

美しいのに

 

もっと自由に生きてみよう

 

有限のいのちなんだから

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だしきる、だしおしみしない

昨日、いろいろ煮詰まって

飛行機をみながら

海をみていた

 

日差しはかなり夏のような暑さだった。

 

海には魚がはねていた

 

早い時間のせいか

だれもいなかった

 

そこは、もしかしたら

天国?のようなイメージの場所だったかも

しれない

 

私が、この人生で

しなくては、後悔することはなにか?

 

考えていた

 

やっぱり、私は

生きているものが大好きで

 

どの生き物も幸せに

生きてほしいし

すこしでも、そのお手伝いをするのに

全力を尽くそうとおもった

 

中途半端な

労力や知恵の出し惜しみをして

くすぶるのはもうやめよう

 

いろいろ不器用で

出来ないこともたくさんあるけど

 

一生懸命やって

後悔することはないだろう

 

自分ができることを

しなかったほうが

きっと後悔するんだとおもう

 

一本筋がとおった、というか

自分の芯みたいなものが

できたら、進むだけだ。

 

変な劣等感や

自分を否定している暇があったら

 

ひとつの目的のために

頑張っている自分をほめて

いたわって

 

最後まで

粛々とやっていこう

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無駄な罪悪感や劣等感は、もう捨てよう

昔から、

たくさんの罪悪感や劣等感を

しょって生きてきた

 

母親から

昔の恋人から

 

いろんなことを

いわれつづけ

 

ダメ人間なんだ

自分はみんなとは違う悪い人間なんだ

 

どんなに表でがんばっても

 

自分のだめさ加減は

ちゃんと存在していて

消せないんだと

 

いつも自分に厳しくしていた

 

ところが、今回

 

私が

自分のだめだなあとおもう事柄を

平気でやらかし

みんなに大公開して

 

しかも、許してくれるのが

当然とおもって

まわりに

自分の後始末までおしつける人に出会って

 

私がずっと抱えてきた

罪悪感や劣等感って

なんだったんだろう???って

 

本気でおもった

 

同じことをしても

 

それをうまく利用して

ねちねちいったり

罪悪感や劣等感を植え付けて

自分の思い通りにしようと

思う人間のそばにいた私と

 

たぶん一生

みんなが自分のことを

許してくれて

みとめてくれて

好き勝手できる彼女と。

 

絶妙なタイミングでそんな人に

出会って

自分の長年の檻が

壊されるときがきたようだ。

 

もう

無駄な罪悪感や劣等感に

縛られない

 

私は私がいけないと思い続けて

改善に改善を重ねて生きてきた

その結果がいまの私だ。

 

よく頑張ったよ。自分。

もう責めなくていいし

自分を嫌いにならなくていい。

 

 

 

ADHDとHSP 混合型の私の優柔不断?

 
たくさんの情報が入りすぎるせいか
 
いろんな人の
考え方
感情
よかれとおもう価値観の洪水に
巻き込まれて
判断に迷うことが多いきがする
 
でも、昨日冷静に考えてみた
 
なにか一個決断したときに
すべての方向によしということは
ありえないのだ
 
なにかをえれば
なにかを失うこともある
 
今後の仕事の展開について
いろいろ周辺に話すると
やっぱりそれぞれの意見や
HSPならではの空気読みで
言葉にはあらわされていない
相手の感情までどわーっと
感じ取ってしまって
にっちもさっちも
身動きがとれなくなってしまっていた
 
でも、、、
もう決断しよう、いっこずつ。
 
やってしまおう、いっこずつ
そして、私の歩くところに
道ができるはず!
 
ADHDの頭のとっちらかりとか
HSPの空気読みとか
いろいろ不自由な私ではあるけれども
 
みんなにきをつかって
自分のふがいなさに落ち込んで
なにもできないまま人生おわっちゃったら
もったいないよね。